In My Life 映画ブログ

最近観た映画をネタバレありで紹介していきます

考察『海獣の子供』映画と原作の違いを分かりやすく解説!

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6/21追記更新!


映画『海獣の子供』

難解と言われるこの作品・・・

映画版では原作のエピソードがたくさん削られ、再構築されたような印象でした。

原作よりもとっつきやすさは加えられていましたが、まっさらな初見さんが観たら

???

?だらけでしょう。

 

ここでは映画の補足的な意味も含め、原作のみのエピソードに個人的解釈も取り入れつつどこよりも簡単に分かりやすく!書いていこうと思います。

?がひとつなくなるくらいには、何かしら発見があるかもしれない!?

 

※原作エピソードをこの色で書いています

なかなか書き終わらないため徐々に付け加え更新していきます。

 

 

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 !ネタバレ&個人的な解釈が含まれています!

映画と原作 全体の構成の違い

 

原作での時系列

船の上で真っ黒に日焼けした歳を重ねた琉花が、孫にある夏の体験を語りはじめる。

原作はそんなシーンから始まります。

原作でこの話は『琉花おばあちゃんの中学生の頃の昔話』です。

映画ではこの昔話のみ切り取られた話になっています。

 

原作での”現在”は琉花はおばあちゃん。

おばあちゃん琉花が語る、琉花の中学生時代の昔話を中心に、更にそこから数年前~数十年前までのその他の人物の過去のエピソードと、海に纏わる世界各地の証言が時々挟み込まれている・・・

そんな構成で成り立っています。

 

冒頭の琉花おばあちゃんのセリフです。

海の話をしよう

まだ誰も知らない海の物語を

深海にすむ巨大なサメの事

海を旅する幽霊の事

そして

海と宇宙を繋ぐ道の事

琉花だけが経験した、まだ誰も知らない物語の始まりです。

 

ちなみに”海に纏わる証言”についてはこちらの記事で詳しくまとめています。

www.ntyg009.com

 

琉花の役割とは

 

琉花と海の出会い

原作ではこんな感じでした。

部活出入り禁止を言い渡されたあと、琉花は偶然耳にした、東京にある海を見に行くため突発的に東京へ向かう。

何とか東京湾にたどり着いたころすでに周りは暗くなっていた。

琉花は”オモチャのような海”東京湾で、と出会う。

の体は小さな光を帯びていた。琉花は幼い頃に水族館で見た、光る魚”海の幽霊”をに重ねる。

 

その後水族館で泳ぐと琉花は再会するのですが、映画では再会の場面が二人の初めの出会いとなっています。(ウェットスーツに潜り込んだり、最初のかくれんぼは映画オリジナルでした。映画ではの無邪気さが追加されています。)

ちなみに原作で、東京湾をこう表現した二人。

琉花 ”オモチャみたい”

 『こわれたオモチャみたい』

同じように感じたのは東京湾が人工的であることを琉花も海も感じていて、また二人の出会いが運命的であったことを感じさせるシーンとなっています。

 (後にとの会話で京湾に行ったのは調査のためだったことが分かります。)

 

琉花と空の出会い

これは原作も映画もほぼ同じでした。

海の画と、底知れぬの透明感がとても綺麗で印象的なシーン。

 

出会った時点で琉花の気持ちを手に取るように見透かしていた

それは、この出会いの前にあらかじめ琉花のことをから聞いていた、というだけではなく、言葉にしていない琉花の想いがに伝わっていたため。

また、琉花は二人のような存在に無意識に言葉以外のものを伝えることができる人物だった、とも言えます。

 

人魂(ひとだま)とは

に誘われて人魂を見に行く琉花。

暗くなった頃、空から光を放ちながら高速で落ちていく隕石のようなものを目撃する。

 

これは原作との相違はありませんでしたが、原作にはこんな表現もありました。

宇宙支配神がその妃と共に牛の背に乗って大海の上空を飛翔していた。

体がくっついていたためか、そのうち宇宙支配神が妃に欲情してしまって

精液が一滴こぼれてしまった。

精液は海中に落下して巨大な羅刹となって天に昇っていった。

インドネシアの影絵劇をアングラードが語るシーン。

また、これに似た民間伝承や迷信が世界各地にある、とも言っており、宇宙支配神の精液は隕石のことなんじゃないかな 。

というアングラードのセリフもあります。

 

人魂はどこへ行ったか

これは原作のみのシーン。

落下後、により小笠原で回収された人魂。

小笠原までクジラに掴まり泳いでいった

は回収の際、たくさんの自分と同じ生命体を殺す。

人魂を奪い合い、空が勝ち取ったのでしょう。

 

そしては消える直前に人魂を琉花に託します。

このシーンは映画も一緒でした。

(一緒なのですが、音や色、動きがあるためか、映画の方が恋愛要素・・というか艶めかしさを感じてドキッとしましたw

それもそうなんですよね、精液?を口移しで渡してるシーンですからね・・)

 そして琉花の中の隕石は・・

 

が消えた後、アングラードと共に生誕の場所へと向かう、と琉花。

オキゴンドウの群れに誘われるかのように海に飛び込む二人。

海水には様々な記憶が溶け込んでいる。

琉花は生命の誕生が起こる舞台へとその膨大な記憶によって導かれる。

そして腹部に人間の女性のような模様のあるザトウクジラに飲み込まれてしまう。

 

原作も映画もほぼ一緒ですが、映画ではアングラードではなくデデと航海に出ていました。(デデは、映画では省かれている過去のシーンにばかり登場していたので、ここがアングラードのままだとほとんど出番がないことになってしまうためでしょうね。

 

ザトウクジラに飲み込まれた後、クジラからの”ソング”が琉花のお腹にある隕石に響く。

琉花の口から、こんこんと水が湧き出てくる。

呑み込んだ隕石から湧き出てくるものだった。隕石が目覚めたのだった。

 

口から水が湧き出る描写は映画にはありませんでしたね。

人魂は受精の場所まで、琉花によって運ばれました。そしてソングを受けて”目覚めた”

これがこの話での琉花の一番の役割です。

 

 

 

琉花が選ばれた理由

 

母・加奈子の過去 

映画ではなかった、母・加奈子の過去と琉花の誕生の話。

琉花の母、加奈子は伝統ある海女の家系に産まれた。

この家系は代々”水中活動に適した特別な体質”を持っていた。

海女として優秀で将来を期待された加奈子。

若さもあってか、自分の海女としての定めを否定するかのように、ある日突発的に旅でその地を訪れていた正明(琉花の父)と駆け落ちをする。

 加奈子は小さい頃海に潜った際、何ものかと、ある約束をしたと言う。

それ以降、海に潜ると自分の名前を呼ぶ声を聞こえてくる。

だれと何の約束をしたのか、加奈子自身にもはっきり分かっていない。

 海で裸になり戯れる二人。

受精の瞬間、加奈子は、”るか”、と海のどこからか聞こえてきた音を聞く。

産まれてきた子供は琉花と名付けられた。

 

琉花の兄弟が産まれた際、琉花の名前の由来を”イルカ”からとった”と言い、”前は沖縄の花が好きだからと言っていた”と、琉花からツッコミを受ける。

二人のコミュニケーションのひとつとして描かれていて、加奈子の琉花への愛情を感じられるシーン。

 また、ここで出てくる約束

難しいんだけどもしかしたら『琉花を産むこと』だったのかな・・・?

 

 

琉花の体質

 琉花は水中でも抜群の視力を持つ特異な体質。

この水中活動に長けた体質は家系で受け継いでいる。

母の加奈子も同じ。そしてまたアングラードも。

 

が琉花に”同じニオイ”を感じるのは、この体質をもっていて、それははるか昔からの繋がりを感じさせるような描かれ方をしています。

 

 

台風の表現

 

消えた空のその後

水族館のボートを使って、3人で沖に出た後。

映画ではここで、がどこかへ行ってしまい、アングラードにより小笠原付近で発見されました。原作ではどうでしょうか。

映画ではあまり説明されませんでしたが、原作では”台風”が大きなポイントとなっています。

 

ボートで沖に出た後、琉花は捜索隊に発見された後、熱を出し寝込む。

はジュゴンによって助けられ、島の反対側の浜で倒れていたところを発見される。その後は病室を抜け出し、数日間行方不明に。

小笠原までクジラにつかまって人魂を探しに行ったのだった。

台風によっていったん病院のベッドに戻される

そこへ病室に現れたアングラードによって連れ出される。

  

想いを運ぶ台風

原作ではは病院を抜け出して台風によって元の病院に運ばれました。

台風が運ぶ???

そう、原作では台風はいろんなものを運ぶ、『精霊の船』と表現されていました。

台風の雨と一緒に魚が降ってくるシーンののセリフ。

 

”これは僕が生まれた海の魚。台風が連れてきた。

この風は僕が生まれた海の空気・・生まれた海の潮の味だ。

この台風は、僕とくんと同じ海で生まれた兄弟なんだ。

たくさんの潮を超えてくんを連れ戻してくれた。

台風は”精霊の船”なんだ。なんでも運ぶ風の船。

記憶や時間や・・精霊も幽霊も。

台風の日は海で産まれた大勢の幽霊たちと、嵐の中ですれ違う”

 

また、この台風の雨風を受けた琉花は、自分の使命に気づきます。

”急に私の頭いっぱいに思いがあふれた。

『わたしがしなくちゃいけない事がある』

台風が運んできて、わたしに注ぎ込んだ”

 

そしてこの台風は、ある大きな役目を果たすのです。 次の項目で解説します!

 

海の体の中の台風

台風が接近した後から、の体に異変が起こり始めます。

声が出なくなるのもその一つです。

原作で、は”体の中に大きな渦があり、どんどん大きくなっていく”

台風が産みつけた赤ん坊”と表現しています。

 

また、デデは幼いの印象をこんな風に語っています。

 

”多くのものを巻き込んで成長する、巨大な渦の中心。

ふたりのうちどちらが本当の中心なのか、それともふたりともなのかそれはわからない。”

 

本当の中心。

様々なものを運ぶ台風『精霊の船』はに様々な記憶、情報を与えます。

が今回の誕生祭の主役、中心だと分かります。

 

 

海と空は何者だったのか

 

海と空の正体

海獣は海に棲む哺乳類のことです。

作品タイトルは海獣・ジュゴンに育てられたことからきています。

見ての通り、実際はジュゴンの子供ではありませんよね。

育ての親はジュゴンだとして、産みの親は・・?

 

ジムと一緒に研究をしているジャン・ルイは、の生体実験で『彼は人間だ』との結果を受け取りました。これは人間のもつ知識の範囲での研究結果であり、実際は人間ではありません。(いつかの時代では人間だったorこれから人間になるかもしれませんが・・)

 

ふたりは海を子宮とし、空からの精子を受け生まれた生命体のひとつです。

この宇宙のひとつの要素。宇宙の子供。”半地球外生命体”とも言えるでしょう。

この話のこの時点では人間のような形をしていて、人間に捕獲されたのです。

それ以前はどんなものだったのか、消えた後は何になるのか。

のみ、以前の姿のひとつが原作では描かれています。

若かりしジムと出会った、鯨の幽霊の頃です。(これに関してはこの後のジムの項目で説明しています。)

それ以外ははっきりとはしていません。

 

海と空の違い

は光となって消えますが、は光り、魚に食べられてしまいます。

が消えるシーンは映画では曖昧でしたが、原作ではたくさんの魚に食べられバラバラになっちゃってます。)

これは受精したものとしなかったものの違いかと思います。

そしてどの生命体が受精できるのか。これはあらかじめ決められていて、変えることはできなかったことと思われます。

台風が訪れ、の体に渦巻きが生まれ、体に変化が起こり始めます。

が光って魚に食べられてしまう頃、隕石はまだ目覚めていないことから、今回の誕生祭はが選ばれた”主役”、”中心”だったのでしょう。

 

空と海は死んだのか

光って消える魚と同様、最終的にはも消えてしまいます。

これは死んでしまったということでしょうか。

それは”死んだ”とも言えるし、”死んでいない”とも言えます。

原作にはこんな表現があります。

胎内記憶がある子供が、”お母さんのお腹から生まれてくるとき、光る魚と同じような光を見た”と言っています。

琉花のセリフでも、”死ぬことは別の世界で生まれること・同じものの表と裏”というものがあります。

私たち人間は、生命がある活動を終えることを『死』ととらえ、その生命の何もかもが終わり、すべてがなくなってしまうようなイメージを持っています。

人間のいう『死』は、この話の中ではただ”変化する”こと。

宇宙の営みの中で起こる、大きな流れのひとつであって、変化しまた続いていく。

海とという目に見える”人間のような姿形”はもうない。

人の形をしたものではなくなったけれど、別の形に変わってこの宇宙のどこかで存在し続けているのです。

それは人間の目には見えないものかもしれないし、別の生き物となったのかもしれない。

琉花はが消える前、光となったの一粒を食べた・・・それは琉花の一部にもなったということでしょう

この話の後・・琉花が、ジムとのような形で二人と”再会”する、それもあり得ない話ではありません。

 

琉花が交わした”約束”とは

 

大切な約束は言葉では交わさない

五十嵐大介さんが米津玄師さんとの対談で『主題歌は物語の着地点を示してくれる』という内容のことをおっしゃっていました。

それを踏まえて流れを捉えると・・

映画での琉花の”言葉では交わさない約束”とは、

『また会いましょう』

これでしょうね。

主題歌”海の幽霊”のラストフレーズですね。

 

 ”映画では”と書いたのは、この映画版は琉花の成長譚としての要素を強めて再構築されたもので、原作とはメッセージも少し違う、違うと言うとあれなんですけれど、原作の方がよりたくさんの情報が入っているためより深いメッセージがあるように思えるんですよね。

そしてそれははっきりとは描かれず、読む側に解釈を託しています。

 

原作の琉花の最後のセリフです。

琉花が孫にしている話を締めくくった場面です。

解釈のヒントにどうぞ。

”るか”は約束をずっと守るって決めた。

”るか”にとってあの夏は『約束』だったの。

確かに約束した。

”彼ら”と。

あの海と。

全ての時間と交わした。

一番大切な約束は、言葉では交わさない。

だから誰かに説明することも出来ないし、時に曖昧にしてしまいそうになる。

でもいつでも体の一番奥で、ちゃんとつながっている。

私はそれを見続ける。

その声を聞き続けるのよ。

”人は乳房”か・・・

あの夏は、あの時期は、

少しは彼らの栄養になったのかなぁ・・・

 私は”また会いましょう”以外にもいくつかの言葉がイメージされました・・

さあ、琉花の交わした約束とは何だと思いますか? 

 

 

ジムとアングラードの関係性

 

それ誰だっけ?って人もいるかもしれないので、一応説明しとくと、ジムは白髪タトゥーの人、アングラードはロン毛のイケメンです。

 

映画だけ見たら、二人とも何者!?感がすごい。

この二人の出会いも、二人ととの出会いも描かれていない。

 

それでは二人とその周辺の、原作のみのエピソード(めっちゃあります・・・)に触れ、二人についての理解を深めましょう。

 

ジムの過去

の保護者的存在でもあるジム。

ジムは、二人の存在を利用したい政府をスポンサーに付け、二人の生体の研究をしつつ、昔ある島で聞いた不思議な”うた”の本当の意味を探しています。

 

40年前、まだ二人に出会う前の若かりし頃のジム。

ある時期に滞在していた島で鯨漁を学ぶ。

その島では、死者が道に迷わぬための死者送りののうた、という島に伝わる最も古いうたがあった。それは航海に出る者が無事に帰って来れるよう船出の時にも歌われる、旅の道標となる”星のうた”

 初めてクジラを捕まえたジムの元に、クジラが死んだときに姿を現すと言い伝えられている、この世のものではない、謎の”彼”が接近する。

姿かたちは人間で、容姿的にはに似ている”彼”は、海で産まれた、と村の人々から言われていた。この島をつくった者、とも。

村人は彼を見たら”星のうた”を唱える。

 ジムは”彼”と交流し、二人は心を通わせ始めたが、ジムのちょっとした不注意から、”彼”を死なせてしまう。

 ”彼”が死んだ後、村は不漁に襲われ、ジムは村を去る。

この罪悪感はジムの中でずっと消えずに残る。

 

星のうたとは

ジムの目的である”うた”は、この島で捕らえたクジラを解体する際にも鎮魂歌としても歌われました。映画にも出てくるこの歌ですね。

 

星の

星々の

海は産み親

人は乳房

天は遊び場

映画ではデデが言っていました。

 

この星のうた。実は元は鯨の”ソング”なのです。

” むかしこのうた(ソング)を聞いた人間が自分たちの言葉に置きかえた”

幼いのセリフ。

それがこの星のうただったのです。

 

ジムが海と空を研究するに至る経緯

海のなんでも屋、デデ。

医師、呪術師、航海士。すべてをこなす海の凄腕探偵、謎のおばあちゃん。

デデが古超大陸について調査をしている際、フィリピンのある島で、ジュゴンと一緒に泳いでいる、”怪物”が、人間により捕獲された、との情報が入ってくる。

この”怪物”こそである。

捕獲されたはその謎めいた存在から、村人たちに持て余され、結局政府に売り渡されることに。

デデから情報を聞きつけたジムは、デデの入れ知恵をもって議員と交渉し、自身の目的”うた”の本当の意味を探すため、また過去の自分のためにも、二人を引き取り、生体を調べる決意をする。

 

デデとジム。

この二人は謎めいた存在のを、自身の持つロマンを追い求める好奇心から接近を試みる。

ただしジムは過去に死なせてしまった”彼”への罪悪感もあり、に対して執着心のような、愛情のような、複雑な心境を覗かせている。

 

また、ジムはから波乗りを教わったり(画はないんですけど)、琉花にシュノーケルを教えたり・・

原作ではジムの生き生きとした人間的な魅力が描かれています。

 

ジムと”彼”と空

 ジムとには深い因縁があります。

そこで関係してくるのはやはりあの”彼”。

 

あるとき、幼いはジムに言います。

”言ったろ?あのときあなたに興味を持ったって。

だから銛を受け取った。”

 

これは鯨を捕らえた後に現れた、”彼”がジムの出会いの際にも使われたセリフです。

は何十年か前にジムと交流をした”彼”だったのです。

死んだのか?生まれ変わったのか?

空自身も分からないけれど覚えている、と表現しています。

 

 

 

 

アングラードの過去

 アングラードは両親の愛に恵まれない家庭に育った。

6歳の頃のある日家を抜け出し、近所の蘭が咲き乱れる温室で一人のおじいさんと出会う。

オルゴールの音色を蘭に聞かせながら、”こうすると花が喜ぶ”とおじいさんは言う。

おじいさんはアングラードに初めて愛を持って接してくれた人物。

アングラードはおじいさんに出会ったことで初めて、両親が口から発していた雑音が言葉だと理解する。

おじいさんはまもなく亡くなってしまう。

 後にアングラードは自らの出生を”蘭の温室から来た”と語っている。

 

アングラードが持つオルゴール。

映画でこのオルゴールの曲は”Happy Birthday”でしたね。

(原作では琉花が”知らない曲”だったので、別の曲の設定だったと思われます。)

また、映画では省かれていましたが、原作ではアングラードはこのオルゴールに話しかけ、オルゴールもそれに答えています。

おじいさんと通信しているのか??

謎です・・・

 

二人の関係の変化

ジムの友人の甥っ子であるアングラード。

アングラードの家庭の不穏を感じ、親から引き離すように時々預かり、交流をはかる。

子供のアングラードはその時点でデデを驚かす程の学を習得している。

この頃のアングラードはジムに懐いていて、ジムに対し、純粋に尊敬の眼差しを向けている。

 

アングラードもに興味を持つ。ジムのやり方に違和感を覚えたアングラードは次第にジムとは別の視点から二人の存在を捉えるようになる。

いつしか二人は別の財源から援助をうけ別々に研究するようになる。ジムとアングラードはライバル関係となる。

 

このライバル関係、圧倒的優位にいるのはアングラード側。10歩も20歩も先を行っている印象。

これは単にアングラードが天才だったというわけではなく、琉花と同じ体質を持つ特殊な人物だったからでしょう。

ジムはおそらく愛情深く研究熱心。でもどこか空回りしてしまうのは、とは根本的に分かり合えない”違う匂いの人”だからじゃないかな。

 

 

  

 母と父の関係修復

 

母・加奈子とデデ 

行方が分からなくなった琉花を探しに行くところ。

映画では母・加奈子と父・正明はジムに頼み琉花の捜索に出ていましたが、原作では加奈子を連れて出るのはデデでした。(父はいない)

 

原作で、デデと加奈子を乗せた船に魚が群がりついてくる、というシーンがあります。

その昔デデが妊娠中に海に出た際、魚が群がる経験ををしていたことから、加奈子が妊娠していることをデデから教えられます。

この船でのシーンは、それまでのだらしないダメ親のイメージの加奈子を一気に魅力的に見せてくれる。

デデも気風の良さを見せていて、好感度急上昇なシーンでした。

 

復縁の表現の違い

父と母の復縁を感じさせる表現に映画と原作に大きな違いがありました。

原作通りだと、先ほど書いた加奈子の妊娠をデデに指摘されるところで多くの人は復縁に気づくのですが(それ以前に、小さなコマだが加奈子が正明に手を伸ばすシーンもある)

映画では二人の復縁は”桃”で表現されています。

桃です、桃。切りたてのつやっとした瑞々しいおいしそうな桃を出し、正明をもてなすシーンが加えられています。

桃は性表現の隠喩ですよね?そしてミツバチが動き花が受粉をする。

ちょっと露骨な気もしますね・・・

 原作のままでも誤解はないと思うんだけど・・確かに原作だと正明がけっこうひどい男に見えますね。その辺ちょっと整えた感じでしょうか。

 

 

海に置かれた椅子の意味は?

 

主題歌、米津玄師さんの『海の幽霊』の歌詞とエンドロールにも登場する”椅子”。

これは映画に出てこない、原作のみのエピソードに関係しています。

原作の1巻より。

がジムから教えてもらった話を琉花に伝えるシーン。のセリフです。

 

幽霊は椅子に座りたがる。

どこかの島では先祖の霊が返ってくる日には海岸に椅子を置いておく

先祖たちは帰ってきた証拠にその椅子に何かを置いていくんだって。

珊瑚とか果物とか・・・そんなもの。

 

ちょっと違うけれど、日本のお盆の精霊馬みたいですね。

エンドロールでは最初は椅子のみ、いつしか椅子の上にハイビスカスが置いてありました。

 五十嵐さんとの対談で、”小さなシーンだけど印象に残っていて・・・”

と米津さんは語っていました。五十嵐さんはそのそのシーンを忘れかけていた、と言いながらも、その小さなエピソードに目を向ける米津さんの感性を称賛されていました。

 

原作にはなく映画にはあったもの

 

ザトウクジラの登場回数

冒頭のマンハッタンと中盤の江ノ島の浅瀬近くに現れる、腹部に人体のような模様をもつザトウクジラ。

この2か所のザトウクジラは原作にはない絵でした。

このザトウクジラ、もうものすごい迫力で・・漫画では味わえないアニメならではの良さを感じました。

 

子守唄

が苦しんでいる時に琉花が歌う子守唄。これは原作にはありませんでした。

琉花の家に代々歌い継がれているこの子守唄。

歌詞の内容は”星のうた”と似ていますね。

この子守唄も星のうたと同じで、鯨のソングを聞いた昔の人が自分たちの言葉にしたものと思われます。

 

デデの楽器

ゴムみたいなビョーンってやつですね。

この楽器はアイヌの楽器で『ムックリ』というものです。

風と会話するとか、なんやら言っていました。

これも原作にはなかったもので、やはりアニメならでは要素を取り入れようってことで、歌、音楽を入れているんでしょうね。

 

琉花の体の中が宇宙になる

原作では琉花から取った隕石をはそのまま飲み込みます。

そしての体は宇宙のようになって光になる。

映画であった、琉花が宇宙になる・隕石を取り合う・海が赤ちゃんになる

この3点は原作にはありませんでした。

映画版で、琉花はおそらく、隕石を渡したらが消えてしまうことを感じ、最初は阻止します。

しかしその後、隕石を自らつかまえ手渡す。

それはのために必要なこと・・・海が現在の体から別のものに変わるのに隕石が必要だといろいろな記憶から感じ無意識的に取った行動だと思われます。

そしてこのシーンの追加は、映画版では琉花をただの”祭りの傍観者”にしないためだったことが渡辺監督のインタビューから読みとることができます。

 

空から落ちる琉花と海+空

と琉花が空から海に落ちるシーン。

原作ではそこまで”落ちる”って感じじゃないんですよね。

映画では落ちてました。びゅーっと。そして最後にが突然現れ、二人を抱えるようにして海に落ちていきました。

3人の繋がりをより強く表現したのだと思います。

 

この作品の”目撃者”に語りかけるような作り

スクリーンを通して、私自身が言われたように感じるシーンが2か所ありました。

ひとつめ。

誕生祭の直前、子宮と思われる場所で”に似た影”が琉花に言うセリフ

(誕生祭を)見たいなら、見て。最後まで見届けられるならね』

原作でも似たような内容はありますが、それはに似た影が琉花に言ったセリフとしか感じませんでした。映画では観ている人に言っていますね。

 

ふたつめ

誕生祭が終わり、港にいたデデが琉花に言うセリフ

あんたの掌の中にある、あんただけの世界を作って。あんたでいいんだよ。信じておやり、と、自分自身を

ちょっと細かい部分違うかもしれませんがそんな内容のセリフです。

このシーン自体が映画オリジナルのものでした。

(原作ではこの中の一部の言葉をおばあちゃん琉花が孫に言っています。)

繰り返しになりますが、琉花が中心の話であることを強めていますね。

そして観ている私たちにも伝えてきています。映画ではより子供にも響きやすいメッセージを意識して作られています。

 

父・正明の心理描写 

復縁の違いにも繋がってくるのですが、原作の父は家族への愛を見せるような表現はほぼありませんでした。(というかむしろちょっと邪険にあつかってますw)

映画ではたまったビール缶の空き缶を片づけたり、琉花を捜索に出たり、二人を大切に思う姿が追加されていました。

その分、母・加奈子のエピソードは減っていて、加奈子と正明、父と母、バランスよく描かれていました。

 

琉花の性格・心理描写

映画では琉花の心理描写の追加がありました。

・ケガをさせてしまった子の、その後の容態を心配する

・最後にその子と和解する

・『私なんか何で・・』と卑下した言い方をする

 

原作の琉花の方がちょっと生意気で突飛でマイペースな部分があり、強いイメージ。(でもどこか抜けている)そしてどこか人間っぽくない。

おそらく映画で琉花の描写を増やしたのは、見る側に共感してもらい感情移入しやすいように作られたためだと思います。

より普通の女の子っぽくすることで、取っつきやすさが生まれています。

映画は”ひと夏の少女の成長譚”的な要素が強まっています。

 

 

 

作品の舞台

 

主な舞台

主な舞台、琉花の住む町は鎌倉・江ノ島周辺です。

ちなみに原作者、五十嵐さんの住まいも鎌倉だそうです。

作画監督の小西さんは、三鷹駅からスタジオまでの住宅や景色も取り入れた、とおっしゃっていました。

父・正明が務めるのは”江ノ倉水族館”となっていました。新江ノ島水族館がモデルですね。

その他”由比ヶ浜”の交差点名や”下田”の道路案内版、横浜と思われる場所も画がありました。

 

キャンプ地の舞台

4人でキャンプをしたプライベートビーチは西表島がモデルとなっています。

これは以前、この海獣の子供の世界を作るきっかけになった、五十嵐さんのひとり旅行地がこの西表島だったことからきているそうです。

確かに・・関東周辺であそこまで海も星空も綺麗なところなんてありませんからね。

原作ではウミガメが産卵にやってくるシーンもありました。

 

 

作品のモチーフや引用

 

草野心平著『誕生祭』

原作者、五十嵐大介さんが大好きな草野さんの詩『誕生祭』

これを五十嵐さんは漫画で表現したいと考えたそうです。

海獣の子供の誕生祭はこの草野さんの蛙の詩の影響を受けている、とインタビューでおっしゃっていました。

出典 otocotoさん

 "山の沼まで蛙たちが泣いている様子を言葉で描写した詩"

引用いたします。

 


誕生祭

砂川原のまんなかの沼が夕焼け雲を映してゐたが。
もうむらさきの靄もたちこめ。
金盥の月がのぼつた。

蒲やおもだかが沼をふちどり。
その茎や葉や穂のびろうどには重なりあふほどの蛍たちが。
蛍イルミネーションがせはしくせはしく明滅する。
げんごろうの背中には水すましが。鯰のひげには光る藻が。

この時。
とくさの笛が鳴り渡つた。
するといきなり。沼のおもては蛙の顔で充満し。
幾重もの円輪をつくつてなんか厳かにしんとしてゐる。
螢がさつとあかりを消し。
あたりいちめん闇が沸き。
とくさの笛がふたたび高く鳴り渡ると。
《悠悠延延たり一万年のはての祝祭》の合唱が蒲もゆれゆれ轟きわたる。

   たちあがったのはごびろだらうか。
   それともぐりまだらうかケルケだらうか。
   合唱のすんだ明滅のなかに。
   ひときは高くかやつり草にもたれかかり。
   ばあらばあらと太い呪文を唱へてから。

    全われわれの誕生の。
    全われわれのよろこびの。
    今宵は今年のたつたひと宵。
    全われわれの胸は音たて。
    全われわれの瞳はひかり。

    全われわれの未来を祝し......。
    全われわれは......。


飲めや歌へだ。ともうじやぼじやぼじやぼじやぼのひかりの渦。
泥鰌はきらつとはねあがり。
無数無数の螢はながれもつれあふ。

りーりー りりる りりる りつふつふつふ
りーりー りりる りりる りつふつふつふ
   りりんふ ふけんふ

   ふけんく けけつけ
けくつく けくつく けんさりりをる
けくつく けくつく けんさりりをる
   びいだらら びいだらら
   びんびん びがんく
   びいだらら びいだらら
   びんびん びがんく
びがんく びがんく がつがつがりりがりりき

びがんく びがんく がつがつがりりがりりき
   がりりき きくつく がつがつがりりき
   がりりき きくつく くつくく ぐぐぐ
             ぐぐぐぐ ぐぐんく
ぐぐぐぐ ぐぐんく
ぐるるつ ぐるるつ いいいいいいいいいいいいいいいいい
ぐるるつ ぐるるつ いいいいいいいいいいいいいいいいい
   があんびやん があんびやん

   われらのゆめは

   よあけのあのいろ
   われらのうたは

  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ

  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ
  ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ

出典 日本語と日本文化さん

 

 

ゴーギャン作品の引用

我々は何処から来たか?

我々とは何か?

我々は何処へ行くのか?

原作にある言葉です。

船の上でアングラードがこのフランス語タイトルを歌っていました。

D'où venons-nous  ♪Que sommes-nous ♪Où allons-nous ♪

 

これは印象派後期、フランスの画家、ポール・ゴーギャンの代表作のタイトルです。

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D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
 
ゴーギャンは原始的な生活を求めて、故郷フランスを離れタヒチに渡る。
自然豊かなタヒチで、貧困や病気を目の当たりにしながらも、土着文化に身を委ね、古代ポリネシア神話の世界を題材にした絵画を描きます。
こちらもそのうちのひとつ。
ちなみにこちらを描いたのち、ゴーギャンは自殺未遂を起こし、そのためこの作品はゴーギャンの遺作、とも言われています。
 
右側に赤ちゃん、真ん中は最盛期の人物、左側に年老いた老婆、と生命の誕生から死に至るまでが描かれているこの作品。
 
ゴーギャンはこの作品についてこう書き記しています。
 
(老婆の近くにいる)奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている

 

”我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”

 人の生命誕生から終焉、存在意義を描いたこの作品。

『海獣の子供』のテーマのひとつはこの絵画のテーマと同じなのかもしれません。

 

 

 

ふー。

もう少しで完成しそうな予感のこの記事。引き続き更新・追加していきたいと思います。

 

 

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感想

 

原作が好きで、そして制作をあのSTUDIO4℃が手掛けたと聞いて、

これは絶対映画館で観るしかない!

ってことで、旦那の協力のもと近所のイオンのレイトショーに行ってきました! 

妊娠中に観た『SING!』以来、2年半ぶりの映画館・・・感涙です。

 

いやー凄かった!”体感”してきました!

ここまで冷静に原作との相違点を綴ってきましたが、すごかったんですよ!(しつこい)

いろんなところでこの作品のレビュアーさんが『2001年宇宙の旅』のタイトルを挙げていることに納得。

壮大な”祭り”のシーンはスターゲートのシーンのようにトリップ体験ができる・・・

そんなサイケデリックさすら感じる圧巻の映像体験でした。

原作知っている人も知らない人も、まずは頭を空っぽにして

『よくわからないけど何だかとんでもないもの観ちゃった感』

を体感してほしいです。

ただ決して万人受けするものではないし、評価はまっぷたつに分かれるとは思うけど。

特にストーリーを重視する方にはあまりお勧めできません。

 

 

 

五十嵐大介さんの描く絵が好きで、憧れて模写とかしちゃったりして、その度撃沈する・・・そんな経験があります。

本当凄いんですよ、あの線画・・それから自然描写がすごい。

迫力の見開きページとか、他にはなかなかない魅力なのです。

 

で、その好きな五十嵐さんの絵が、動いている!色がついている!声も音も!

その感動は映画の半分くらいまで 人物がアップになる度に感じました。

本当、STUGIO4℃さん、作っていただきありがとうございます!

 

それからスキューバをやっていた身としては(元ダイバー?ブランクダイバー??どっちでしょうw)魚たちの迫力、リアルさも100点満点でした。いや200点・300点くらいはありますね。

ザトウクジラすごい!!

マンタ!!!

あーー琉花みたいにジンベエにまみれてみたい!!!

海洋ドキュメンタリー『ディープ・ブルー』(2003年の方)以来の興奮でした!

そしてすごく怖かった・・・海の怖さを知っている人は(知らなくても?)ゾクっとすると思います。

CG混ざっているとしてもこれがアニメ映画で見られるなんて。

レベル高すぎやしませんか?

 

それから度々ジブリっぽさを感じると思ったら、それもそのはず。

五十嵐さんは影響を受けた人物に宮崎駿監督の名前をあげているし、音楽は久石譲さんが担当されています。

そしてジブリで作画担当もされていた小西賢一さんがここでも作画監督・キャラデザもされている・・音響監督もジブリで活躍されている笠松広司さん。なんと豪華な制作陣・・・

が光になってしまうシーン、風立ちぬのどこかのシーンを思い出したんだよなぁ・・地震のところかな?

原作を読むと分かるんですが、”音”とか”詩”が言葉よりも優れているように表現されていることもあって、音楽を大切にしている作品だな、とも感じました。

そして、キャンプの料理のシーンは原作より充実してましたね!

何かよくわからないけどおいしそうで、千と千尋の神隠しを思い出しました。

この食事のシーン、渡辺監督はインタビューで、彼らが”生きていること”が際立つ非常に重要なシーンとおっしゃっています。

なんと五十嵐さんに料理のレシピを聞いて実際にスタッフが食材を用意して調理したそう。力を、心を込めて作られたシーンであることが分かりますね。

このシーンに関して、パンフレットの中から印象的だった言葉がありました。

生きとし生けるものには必ず死が訪れる。

そして、生きている間は別の命を享受してそれを糧とするしかない。

いわば命の受け渡し。

この世に生命として存在するものは、種や立場を超えて互いに継承し合っている。

 

まだまだ描きたいことあるんですが、明日(もうとっくに明けて今日)我が子の2歳の誕生日なんです。

で、この海獣の子供の鑑賞を決めた時からリクエストしていた、作品の舞台でもある

新江ノ島水族館に行ってきます!

私も我が子も、水族館大好きなんです!

 

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やったー!!

映画の余韻に浸りつつ、楽しんできます!

 

またのちほど。おやすみなさい。